現実が解体され再構築されるとき:抽象世界への一歩
——京都市立芸術大学の作品展の体験
現実世界の中で生きてきた私が、偶然にも京都市立芸術大学の作品展に足を運ぶことになりました。
見慣れた風景が精緻に切り取られ、身近なものが解体されて作品として再構成され、日常のささやかな発想が大胆な芸術作品へと昇華されている。
その瞬間、芸術が既存の思考を打ち破り、大きな思考の転換を促していることを強く実感しました。
何がリアルで、何が抽象なのか——その境界は、改めて問い直されます。
活動紹介
京都市立芸術大学では毎年、作品展が開催されている。2025年度作品展は、2026年2月7日から11日まで学内で実施された、入場無料。
本展は、美術学部および大学院美術研究科修士課程の全学年による進級・卒業・修了制作展です。
来場者は、学部4年生および修士2年生による集大成の作品だけでなく、美術学部および大学院修士課程に在籍する全学生の制作・研究発表を鑑賞することができます。
学部、大学院で学べる専攻としては、美術、デザイン、工芸、芸術学、保存修復という分野があります。今回の作品展でも、作品の分野ごとに建物が分かれていました。分野は、日本画、油画、彫刻、版画、構想設計、デザイン、陶磁器、漆工、染織、保存修復と多岐にわたります。
特に優れた作品には各種賞が授与されます。
油画や彫刻といった伝統的な形式から、構想設計やデザインなどの新しい表現まで、多様な芸術表現が展開されています。



展覧会の理念
学長の小山田徹氏は、芸術の存在意義や「芸術が理解できない」という疑問について次のように述べています。
作品を制作した学生たちにとって、それらは未来への出発点であり、探求の途中にある未完の試みや葛藤でもある。そこには、彼らの「形成途上にある価値観」が表れている。
一方、鑑賞者が作品を理解できないと感じることは、極めて自然であり妥当なことである。それは、作品がまだ社会に広く受け入れられていない価値観を体現しているからだ。鑑賞者がその「理解できなさ」と向き合い、共存を試みる過程は、未知と正面から対峙する貴重な経験となる。長い未来において、芸術は常に存在し続け、創作者の思考や感情を表現し続けるだろう。
作品展全体の体験は、まるで迷宮を歩くようでした。迷いながら感じ、芸術と現実の衝突に身を浸す。
その過程で、未知への不安や恐れと向き合いながら、既存の価値観を問い直し、新たな可能性を模索する時間となりました。

個人的な感想
ミクさん:作品の数が膨大で、それぞれの作品に込められた作者の思いや意図を汲み取るのは、簡単で難しくもあった。
博士課程有志展に行くと、たまたま制作した学生の方が自分の作品について解説してくださっていたため、その方の研究分野や、制作に至るまでの制作過程や思考過程などを知ることができ、興味深かった。また、学部生の方で、卒業制作の解説を自分からしてくださった方もいた。部屋全体を埋め尽くすような大きな染織の作品だったが、2か月間かかったそうで、その長さに驚いたとともに、自分の考えを表現するその情熱に圧倒された。
また、デザインBという科目で制作した作品が展示されている部屋もあった。ここでは1回生から4回生まで、様々な学年の学生が設定した日常の課題やテーマに沿って作った作品が展示されており、そのほとんどが実際に触ったりして体験できるもので、来場者が楽しめる工夫がされていた。
アトリエ的な何もない部屋に作品が展示されている空間は美術館のようで、逆に絵具や機械が置いてあるような制作室に作品が展示されていることもあり、図工や美術の時間を思い出し少し懐かしくなりました。
この日は記録的な大雪が降った1日であったにもかかわらず、一般の方や海外の方など、多くの方が来られていて、作品展の人気の高さを感じました。
ウンセイさん:数時間にわたる鑑賞の中で、多くの作品の圧倒的な表現力に何度も驚かされた。一方で、「これは何を語っているのだろう」「なぜこのような表現なのだろう」と戸惑うことも少なくなかった。
写実的な作品では、例えばスーパーの一場面や海辺の風景などに共感を覚えた。一方、抽象的な作品では言葉にしがたい感情を感じつつも、自分の解釈が作者の意図とずれていないかと不安になることもあった。
幸いにも、いくつかの展示では作者本人による説明を聞くことができ、着想の背景や制作過程を知ることで、目の前の巨大な作品に込められた意味をより深く理解することができた。
コンクリートに囲まれた現実の中で長く過ごしてきたせいか、想像力は少し抑え込まれていたのかもしれない(笑)。今回の鑑賞体験は非常に刺激的で、現実を解体し、常識から一歩踏み出し、新たな視点や思考を捉えるきっかけとなった。身近な現実に対しても改めて問いを投げかけ、これまでとは異なる風景を見ることを学んだ時間であった。


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